吹田草牧 | 忘れないための美術館

吹田草牧


忘れないための美術館-suita



掲載したのは、吹田草牧(1890~1983年)の「醍醐寺泉庭」(京都国立近代美術館蔵)。

吹田がヨーロッパに滞在していたときの日記が、「渡欧日記」として、京都国立近代美術館発行の冊子「視る」に時折掲載されていて、私はとても楽しみに読んでいる。

吹田草牧は、1922年の6月初めにヨーロッパに着いている。

忘れないために、「視る」第441号に載っている5月27日(日曜日)の日記を写しておく。以下・・。


八時頃起床。仕事にかかる。肩が凝るやうな気がして、眠くって、かく気にならない。それでも無理にかく。

一時頃石崎さんが来た。明日ルウヴルで写真を撮影するので一緒に来てくれとの話。しばらくして同氏はルウヴルへ行った。それから私もルウヴルへ行く気で居たのだが、だんだん仕事に乗り気がして来たので、そのまま描いて居た。

四時頃、また石崎さんが来たのでしばらく話して一緒に出る。小林氏の五十枚の絵をせめて二十五枚くらゐはかかねばいけまいとの石崎さんの話に、急にまたそれが気になり出して来たので、頭が変になって来た。

ぶらぶら歩いて石崎さんのところへ行き、広田さんの部屋で話をする。そして一緒にデュワ゛ルへ行き、無駄話をしながら賑やかにたべる。みなの時計と、デュワ゛ルやビツソンの時計とが一時間ちがふので、どちらがほんとうかうそかわからなくなってしまった。ビツソンの時計にすると、丁度九時四十分頃だった。宿へ帰ったのは。それから日記を書き、頭が亢奮して居るので、絹を三枚枠に張った。それから中々眠れないのでぐづぐづしてとうとう一時頃就寝。


日記を読む限り、吹田は繊細で神経質な人だったように思う。